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運転が苦手な私。その裏には母がいた

ぶろぐ
ちひろ
ちひろ

車の運転が苦手な私。できれば避けて通りたい――。
免許を持たない母から、日常的に浴びせられてきた数々の“言葉”が、私のハンドルを握る手をどんどん重くしていったのです。

運転が苦手になったきっかけ

私は車の運転が苦手です。
そうなってしまった原因は、母です。

母のコンプレックスと八つ当たり

母は車の運転免許を持っていません。
高齢者だから返納したわけではなく、そもそも取得しなかったのです。
母にとって、それが一番のコンプレックスだったようです。
ですが、母のそのコンプレックスの解消法は、他人の車の運転にケチをつけることでした。

どんな運転にも文句がつく

私の運転に対しても、どうあってもケチをつけてきます。
一時停止線で停止した時には──

母:「なんで停まるんや! 行かんか!」
私:「ここ、一時停止だから」
母:「さっさと行かんか!」

母にとっては、交通ルールなど関係ありません。

駐車のたびに繰り返される押し問答

駐車場に駐車して、エンジンを停めた後には──

母:「もっと近くに停めんか!」
私:「私は運転が苦手だから、ここで我慢してください」
母:「ここからやったら遠いやろ! 分からんのか!」
私:「お店の近くになると他の車も多くて停めにくいので、ここで我慢してください」
母:「もっと近くに停め直せって言ってるやろ! 分からんのか!」

こうなると、私が車を動かすまで押し問答が続きます。
せめて、車を停める前に言ってくれたら、エンジンを再度かけずに済むのですが……。
母にとっては、私に少しでも負担をかけて嫌な思いをさせることが目的なのです。
私が嫌な顔や困った顔をするのが楽しくて仕方がないらしく、罵倒を浴びせながら、終始笑顔でいるという──なかなかの鬼畜ぶりです。

「否定」こそが日常

車の駐車位置に関しては、「とにかく文句を言う」「とにかく否定する」ことが大好きな母です。
自宅に帰ってきて車を停めたときも、エンジンを切った瞬間を見計らって因縁をつけ始めます。

母:「もう、あと10cm前に出たら?」
私:「そんなに変わらないでしょ? どうしてエンジンを停めた後に言うの?」
母:「何? 間違ってるって言うんか!」

間違っているも何も、ただ因縁をつけたいだけなのです。
人を否定して、自己肯定感を上げたいだけ。
そのせいで、ずっと否定され続ける私はたまったものではありません……

半世紀以上続く支配

車の運転に限らず、他のことでも母はとにかく私を否定します。
母は私を貶めて、母自分を持ち上げる──最低の人間です。
これを私は、物心ついてからずっとやられています。
もう半世紀以上、否定され続けて生きてきた私は、すっかり自己肯定感の低い人間になりました。

それでも責任感で続けている

それでも、責任感だけで両親の面倒をみているというのが現状です。

否定する人の正体と、心の変化

ただ、こうしてとにかく「否定する」人は、一定数いるということも知りました。
客観的に見て、否定する側の人間が悪いのだということがはっきりわかってからは、心が少し軽くなりました。
そして、母にも以前よりはるかに毅然とした態度で接することができるようになったと思います。

結び

運転が苦手なのは、変わりありませんが……。

ちひろ
ちひろ

私は母に一挙手一投足を否定し続けられ、出来ることも出来なくなっていったという経緯があります。
こうやって一つ一つ奪われていったんだなあと思います。
ブログを始めてこういったことを客観的に見直すことができました。

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