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訪問リハビリを断る父、人前でも私を恫喝する母、絶望する私~助けてくれたのはケアマネージャーの一言だった。

ぶろぐ
ちひろ
ちひろ

わずか1時間、訪問リハビリの時間だけが、私にとっての「心の避難所」でした。けれど、その扉は唐突に閉ざされてしまったのです。

驚異的な回復とリフレッシュの時間

訪問リハビリが始まって3か月。
週に2回の本格的なリハビリで、父は驚異的な回復を見せました。
介護度は「要介護3」から「要介護2」になるほどの回復です。

私には恫喝し怒鳴り散らす父も、訪問リハビリの方や他人にはそういったことはほとんどないので、私としてもリフレッシュできる時間になっていました。

家の空気を変えてくれた担当者たち

週に2回、信頼できる訪問リハビリの方が来てくださるというのは本当にありがたく、リハビリということだけでなく、「家の不穏な空気」が少しでも良くなるという点でも、私にとってはとても良いことでした。
さらに言えば、週に2回来てくださる方は曜日によって担当者が違います。
我が家は2人の方にお世話になっていました。
いつもとびっきりの笑顔と笑い声で温かくしてくださっていたのです。

このお二人がとても明るくて優しいので、来られた瞬間に家の中が明るくなるのです。
私はいつも両親に怒鳴りつけられているので、この担当者の方が来てくださる時間は、私にとって癒やしのひとときでもありました。

訪問者の前でさえ恫喝される私

両親はこうやって我が家に訪れる人たちが来る時間に、私が同席することを嫌がります。
私が一言でも言おうものなら、母の恫喝と鬼のような睨みつけが待っています。

今回のリハビリの手配などをしてくださったのは、近所のケアマネージャーの方です。
その近所の方がいるときでさえ、私がちょっと確認しただけで恫喝されます。

「オカシイ」と感じたケアマネさんの一言

ケアマネージャーさんが用意してくださった書類を私が受け取りました。
分かりやすいようにファイルまで用意してくださっていたので、私がその書類をファイルに入れることにしました。

そのときに、一応母に声をかけました。

私:「お母さん、書類をファイルに入れておくね」
母:「何、勝手に触ってるんじゃ! 置いとかんか!」
私:「ごめんなさい」

あわてて、私は書類を手放します。

このときはケアマネージャーさんだけでなく、業者の方もいらっしゃったのですが、母は私を怒鳴りつけ、下から睨みつけるのです。

その場にいた人たちは一気に沈黙してしまいましたが、母は動じる様子もありません。
しばらく私を睨みつけて気がすんだのか、母は何事もなかったかのように書類を片付け始めました。

その様子にかなり驚いたケアマネージャーさんは、私に同情的にそっと耳打ちしてくれました。

ケアマネージャーさん:「お母さん、ものすごいなあ」

私はこの言葉に、どれほど救われたかわかりません。
母はやっぱり、人から見ても「オカシイ」人間なのです。
そう言ってもらえて、私は本当に安堵しました。
母はやっぱりオカシイ。
※「オカシイ」とは「面白おかしい」という意味ではなく、「普通ではなく、間違っている」という意味です。

否定され続ける日常の中で

とにかく、私の一挙手一投足を否定する母は、自分が人から見て普通ではないことに一切気づいていません。
それこそ、娘を罵倒することが当然の権利だと思っているのです。

リハビリ終了の決断に絶望する

話は戻りますが、訪問リハビリの話です。
週に2回来てくださっていた訪問リハビリの方を、要介護2になったことをきっかけに断るというのです。

私にすれば、ありえません。
両親は誰かが来たときに、私が同席すると私を恫喝します。
私は訪問リハビリの方が来るときにも、挨拶一つできません。
息をひそめて、黙って、少し離れた場所にいます。
(バリアフリーのパーテーションしかない家なので、挨拶を避けるには息をひそめるしかありません)

それでも、訪問リハビリの方が来てくださる時間は、私にとってリフレッシュの時間でした。
わずか1時間の間でしたが、家の中の空気が入れ替わるのが分かるのです。
「ああ、これでもうちょっと頑張れる」
そんなふうに思っていたのですが、これでそのリフレッシュの時間もなくなりました。

支えてくれる人の存在

絶望していましたが、そんなときに声をかけてくれたのも近所のケアマネージャーさんでした。
その方は「何でも言ってほしい」と言ってくれました。
我が家と関わる中で、異常性を感じたのだと思います。
私はまた、このケアマネージャーさんに救われることになりました。

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